恋愛問題 |
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ご相談内容K県にお住まいのカナさん(仮名・40代)は、20代後半でお見合い結婚をして翌年には長男が誕生、夫の評判もよく、ご両親も含め周囲の誰もが《 一生安泰 》の太鼓判をおす玉の輿婚で、『幸せだと思わないとダメ』と、慣れない環境で子育てに負われる日々の中、思考にはブレーキをかけ自分を騙して生きていたんです、と吐き出すようにおっしゃった。 嫁ぎ先は、広い敷地内に日本庭園を抱く姑夫婦の豪邸があり、一郭に、瀟洒な家が建ててあって自動的にそこに住むことになったそうです。わずか4回の急かされデートをこなし愛情さえ未確認なまま、ご両親から「結婚したら情が湧く」と諭されてのスピード婚だったと。 婚家の作法に目を白黒させてるうちに跡継誕生で、それまでは興味を示さなかった姑さんが「孫の習い事を考えてあげないとね」足しげく通って来るようになり、一年を経るころに悟ったそうです。 通い姑は疲れを知らず、昼夜の境もなく訪れては、家事につけ育児につけ「私の時代はね」が枕コトバになって「嫁としての自覚がない」とさんざん毒づき「パパにそっくりで良かったわぁ~」と孫をあやして抱っこして気が済むまでは帰ろうとしない。姑との気苦労が絶えない日々にもひたすら耐えたと...カナさんは溜息をついた。 夫は、帰宅が毎晩遅く「俺が会社の後継者なんだからオマエは内助の功を尽くすべきだろう」とカナさんの訴えには耳を貸さず「家を守るのは妻の務めだ」と逆ギレされる事もしばしばあり、結婚前に夫が垣間見せた"頼り甲斐"らしきものは、セレブという環境を剥ぎ取れば ただの傲慢でしかなかった。 息子が6歳の誕生日を迎える頃から夫は、仕事の関係者や同好会のメンバーを招いてホームパーティーを催す事が多くなり、そこでの夫は他人の目から見れば《 優しい夫と理想的な父親 》そのもの..カナさんは玉の輿に乗ったシンデレラといった見方をされ、惨めで悔しかったと憤りを露わにして「夫も名俳優なら私も女優してたけど。確かに、深夜になる前に魔法はとかれて私は普段着のお手伝いさんに戻ったわ」と自嘲的な言葉を放った。結婚記念日は忘れ去られていたのに、と。 姑と夫はワンセットで、嫁いだ自分だけが血縁に非ず!見えない立入禁止のドアに塞がれていたような・・と例えられた。姑が孫にと勧めてくる習い事に夫は常に迎合した。たった一人の《 跡継 》と姑から言われると、蛇に睨まれたカエルのようになってしまったと。 夫婦関係は事実上破綻していたが、良家の奥様役は役目として演じていたという。 気づけば十数年の歳月が流れ、仮面夫婦のはずが世間からはオシドリ夫婦と呼ばれるようになり全ては甲斐性のある夫のお蔭ということになって、カナさんの心は涸れて凍りついていったようでした。 夫が接待ゴルフに夜のクラブ通いにと次々に仕事兼趣味を増やしていくなか、カナさんは家に引きこもって過ごしていた。獄中にも等しい生活のなか唯一の慰めが子供の存在だったが、高校生になった息子もまた部活を通して自分の世界を築いていき、《 氷の家 》への帰宅は夜も遅くになってから。 夫が定期的に催すホームパーティーは仕事に大きく貢献し、どこかで見た映画のように、夫の人脈作りの土台へと成長したため年々大掛かりになり、訪れる客の顔ぶれもガラリと変わり、料理全般ケータリング頼みとなって手のかかる後片付けも妻の仕事ではなくなった。 しかし、世の中は摩訶不思議なもので、ホームパーティーに訪れた賓客の中に、見知った顔が...。 若気の至りで離れてしまったが、彼の包容力は記憶にある、思い出がその証しを立てる。 その彼は、既に離婚をしていて専ら仕事一筋に生き、遣り手経営者として成功を収めていた。 「彼はとても驚いたと思います」と言うカナさんだが、あの時は必死で..彼の立場を考えてなかったんです、と声を震わせて、その後の経過をポツリポツリと。翌日に初メールが入り「どうしたの?」と、それだけ。それでも充分に嬉しくて、現状をそのまま直訴した形のメールを送信・・その日の内に電話があり、互いの現実を正直に語り合えて、結婚後初めて味方を得た想いだったと。 しかし半年が経ったころ、いきなり夫の愛人と名乗る女性が尋ねてきて、夫ではなく愛人から離婚を迫られた。女性には「こちらは構わないから夫に直談判してくれ」と言い放ち、彼には、初めて「会いたい」とその夜 本音を告げた。高校卒業と共に止まった時計を巻き戻して縁を結び直したい..カナさんの渇いた心が行動へと向かわせたのでした。 離婚になれば、それはそれで構わない。ぬくもりが欲しいだけだと 旧知の2人は距離を縮めていき、彼の時間が空けば白昼でも飛んで行く。噂になる事も含めカナさんには、もはや怖いものなしの状況でした。もしも彼との愛が壊れる日が来るとしたら?と考えると、怖いのはそれだけですとおっしゃった。「息子も来年には家を出ます。海外留学を希望していて夫と相談しているようなんです」と、孤立無援であることも主張された。 そして、「自由になりたい」、自分の人生を取り戻したいと、しぼり出すような声に切実さを滲ませておっしゃいました。姑の予期せぬ来訪はなくなったが、愛の片鱗も生まれなかった家にも夫にも、もう縛られたくない、私にも人として生きる権利がある!女としても...と、心の命綱となった彼の、"真実の心"を知った上で、身の振り方を考えたいとのことでした。 夫から直で彼の元へと奔ることは、彼が手塩にかけて育てた会社の足を引っ張ることになるのでは?と危惧されて、もしそうなるのなら、この家を出てしばらくは身を潜めていたいとも。 鑑定結果ご主人には離婚の意思は全くなく、妻が離婚を望んでいるとは夢にも思っていないため、相当な抵抗を受けることを覚悟の上で、諦観の婚家を出ることをお勧めしました。その家にいても生涯報われることは望めそうもないことと、未来に光が視えないのは、そこがカナさんの本来の居場所ではないことを示唆していますとお伝えしました。 「何不自由ない生活をさせている」が、ご主人の口癖ではありませんか?と言うと「ええ、そうなんです。視えますか?逆ギレすると必ず!」と。 一時的には傷口に塩をぬる発言だが、長い目で視れば、一種の《 怪我の功名 》と成り得る、好材料でした。離婚成立前にご実家からも猛反対の声が上がるため、事前に、決して動じない意志力と態勢作りに《 この負傷が貫き通す力を与える 》とカナさんを守護している方からメッセージを受けてのものでしたが、カナさんの中にもまた未練とか情とか...夫婦としての感情は微塵も視えなかったのです。生理的嫌悪感・恐怖・絶望...負のエネルギーが満ち満ちて、行き場のない怒りが渦を巻いていました。《 呉越同舟 》という言葉が浮かぶほどに夫婦仲は悪化して、心身の病いは寸前のところまで迫っていたのです。 元来が夫は、家庭には男女の愛を求めないオトコ。情熱的あるいは癒し的なモノは "外で得て満足する" という時代錯誤な価値観を持つマザコンで、妻が家を守れば報酬として贅沢を与えるという、上下関係の物差しで吾が妻を採点する男性。早い話が、世の中 銭だ!金だ!福沢諭吉様だ!!と語れるオトコだったのです。 カナさんが結婚したことを風の便りで知った彼は、仕事にのめり込んでいき結婚への興味は失っていたが、仕事一途に邁進する彼に取引先の社長が惚れこんだ。勢いで一人娘と結婚したが、我儘放題に育った妻とは折り合わず数年で離婚。悲惨なのは、離婚と同時に、取引先を一社失ったことであり、元妻への未練は皆無で "依頼され承諾した" 感覚の迂闊な結婚によって、穴埋めを強いられた過去を苦々しく感じていた。熟慮が欠けて墓穴を掘った経験は、その後の彼を、仕事へとさらに精力的に取り組ませた。少しでも高見へと休日もなく走り続けて、いまの彼の基礎ができ、率いる会社は急成長を遂げていた。...これが彼の現実です、とお伝えして、仮に、今後ご主人が知恵を振り絞って罠を仕掛けたとしても、上手に回避します、未熟者ではありませんよ?と。失敗や挫折を経験して、それを成功の糧へとチェンジできる器の持ち主でした。 一般的に女性が求める "嘘偽りのない頼り甲斐" を、存分に発揮されるでしょうね、この人なら!と、霊感霊視の結果に責任持ちますよと前以てお伝えし、何故ならば...と?げていきました。 「ご主人のパーティーは業界の交歓会化している模様で、彼は一応顔を出して置く程度の気持ちで出向いたようで飽くまでも仕事だったのが、その邸宅で、初恋の女性に似た人を目の当たりにして、まさか!見間違えか?と驚かれたようです。仕事そっちのけで盗み見してると、優雅な佇まいで来客をもてなす彼女の笑顔が泣いてる、と感じて思い切って話しかけたみた!ってところです」と再会当日の心情をかいつまんでお伝えした。そして、心境としては当然ながら複雑なものでした、と。 心を残して離れてしまった悔いも癒えぬうちに、結婚したと噂に聞いたが相手の事までは知らなかった。 「つまり!彼の恋心は18歳でストップしたまま一人では進むことも出来ず、かといって忘却もならず、往生際が悪いと言われても叶わぬ恋のカケラを隠し持って、仕事に逃げてきたとも言えました。 彼との価値観・相性も良く、人生のどんな峠も手を繋いで越えていける2人でした。 ご実家には、結婚直後から味わってきた辛酸の限りを訴えて、毅然とした口調で「離婚します」と言いきり、念のため、心療内科で診断書をもらってから、世間の非難をかわすためにもご実家へ逃れてください、と方法の一部をお伝えしました。そして何より、彼と話し合いを重ねて、すべての辻褄が合うように話を煮詰めてください、大丈夫です!と。 幸せへと向かう最初の峠越えで、カナさんの手を取り背負ってくれるのは彼、唯一人ですと力を込めて。 結局のところ、ボタンの掛け違いが原因で行方不明の歳月に遭った時でさえ、以心伝心、愛は枯れず育まれていたのでした。諦めたと頭で誓っても感情は妥協を拒んで、頭と心を分離させ、心の片隅で呼び合い求めてきた昔日が、守護霊対話により浮き彫りにされてきました。それをお伝えすると「混沌としてたものが少しずつ解けてきた気がします。本心に蓋をしたら誰も幸せになれないんですよね」と。 《 艱難、汝を珠にす。(逆境が人をつくる) 》 その後女の一生賭けた一大事業と銘打って、達成するまで毎週一度はお電話を頂戴しました。 カナさんのこの一言で今度はご主人が言葉を失い、顔が引き攣っていたと..その様子を見て思わず鼻で笑ってしまった..それだけでも少しは溜飲が下がったとおっしゃって、ご自身の中でも《 貫ける 》という手応えを得たそうです。 そして半月経つ頃には、こんな男に怯えて心を殺して生きてきたのか?わたしは!と情けなくなり、その日を皮切りに、ご主人には情容赦のない言葉を頭からフリカケのように撒いてあげた(?)と...かつてとは比べようもない強い女性の貌が現れ、仮面がいらない生活へと慣らしているようでした。 まずは自分の心を鍛えあげなくてはと、鏡を見ては「この暗いトンネルから這い出て私は幸せになる」と来る日来る日も言い聞かせ、待ってくれてる彼を支えて生きたい、とイメージ&メンタルトレーニングに励み、弾みをつけて行動していくうちに自然と「自分を取り戻せた」と。 彼との密会は、いつしか密談となり...愛情奪取会議になったと、嬉しそうなお電話を頂いたのは、2ヶ月が過ぎた頃でした。 好都合なことに、ご主人の外泊が増えて、お蔭で考える時間も夜にかける電話の時間も充分に与えられ、家に居ながらにして作戦会議が出来るわ!と、そんなお喜び(?)の電話も夜中に頂戴しておりました。 彼とはその時期、会いたいと思えば遠慮なく...ある意味では開き直り精神で、寸暇を惜しんで会い、もうすぐ来る未来への期待を膨らませながら語り合って蜜月に突入していると。唯一禁じたのは、離婚成立するまでの期間は、言い訳を作っての軽率な外泊は避けるという、この一点。不測の事態に揚足を取られないためには重要なポイントで、ここは守って頂きました。 診断書も手に入れ、ご実家にも日帰りで戻って事情を説明するも、一目観るだけで充分なほどカナさんの雰囲気が別人と化していたせいか、反対と言うよりも「本当に、気が病んでいるのね。賛成はできないけど精神病になってもねぇ~..よく考えた上での結論なら、穏便に工夫もしないと、ねぇ」と想定外の心配をされたと、肩の荷をまた一つ降ろすことが出来たと苦笑していらっしゃいました。 想定内の事といえば、早朝に帰宅した夫に「貴方には長年の愛人さんがいるから不便もないでしょう。離婚手続きもサッサとした方が、きっと彼女も喜ぶわよ」と迫ったところ「嫉妬で機嫌が悪いのか?男の甲斐性だ」と見当違いも甚だしく一蹴されたと。膝詰め談判も試みたが、毒舌がエスカレートするだけの夫に《 マトモじゃない人間相手にマトモな反応はハナから求めてなかったわよ 》と予定通りの行動に出た。離婚届とメモ書きを残し婚家を出奔し、敏腕弁護士の許へ。浮気の証拠も添えて、慰謝料は望んでないが財産分与はお任せしますと、一刻も早く離婚したい旨を伝え、そのまま実家へ逃避行。 世間体を気にする夫が選択するのは、長引く裁判ではなくクールな離婚だと知り尽くしていた。 すべてが計算通り、泥沼離婚騒動が世間に広まるのを忌み嫌ったご主人は、数ヶ月で離婚届にハンコを捺して、カナさんは名実共に自由の身となった。息子さんとの母子関係にも支障をきたさぬようにと、万全を期して事に及んだのが功を奏したのです。 離婚後半年は女性は法的に結婚が許されないため、この期間はご実家で羽を伸ばして...というよりも、人の噂も七十五日と、時間が経過するのを待って、心配するご両親には『 まだ40代だもの、再婚を考えるわ 』と大義名分を立ててお出掛け...彼が待つ新居へと。 カナさんは今、18階のリビングから遠く彼方に在るかつての婚家を見下ろして、悪夢は終わった!と、一日一時一瞬も勿体なき珠玉の日々と呼び「感動いっぱいの暮らしってドラマじゃなかったのね。今は幸せを隠せないわ」とおっしゃって、幸せ一色に彩られた日々の暮らしを満喫していらっしゃいます。 |
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