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最近の記事
生者必滅会者定離
生者必滅会者定離(しょうしゃひつめつ えしゃじょうり)
かつて私の口癖になっていた言葉が、近頃また脳裏をかすめる。
この世に生を享けたら、いずれの日か必ず「死」で終焉し、この世で出会った人ともまた「別離」の日が否応なく訪れるのだという 『人間界の原則』を説いている。
(別離は、死別かもしれないし生別かもしれないけど)
秦の始皇帝は、不老長寿の薬草やら何やらを真剣に捜して莫大な費用を投じたが
結局はそんなものは何処にも存在しなかった。
ただ、己を信じて諦めずに捜し廻ったことに意味があるのかもしれないと ふと思う。
この不屈の精神 !
遣るだけ遣ってみなきゃ納得しない! って素敵~♪ なんて思ったり。
原則は崩せないのだから、
人はその最期の時をどうやって迎えるかが重要だと感じる。
「もう充分。未練なんて全然! そろそろ逝きたいわ。後はよろしくね~」
とでも言いそうな苦労人の生涯を終えた人なら 「次行こう次!」 って感じで御成仏。
その逆で「悔いの多い人生だった。ホントはまだ逝きたくないーー」って方の魂は…
49日過ぎても お迎えの手を振り切り 今生に未成仏霊として留まってしまう。
この時点では後々に厄介になることも視えてない..だから困る事が家族に多発する。
私は昨年までは49日が来てから成仏するものだと思っていたが、
それは仏教云々の話で、事実はと云うと…どうやらMAX49日となるらしい。
49日間は生前に縁のあった人たちへの挨拶回りと言われてきたが、
それも最長日数のようだ。
素早い成仏!? と言ったらおかしな言い回しだが、それもアリなのだ。
他界した魂が 素早く上ってくれれば、残された人の悲しみも最短で浄化される。
大切な人を喪ったのにも拘わらず 他界しただけだと何処かで奇妙に納得しちゃう。
「あれっ?」って感じで悲しみの感情がひ弱になり、時間が過ぎ去っていく。
更にその時間が最高の良薬となり 悲痛となる前にチャッチャッと癒して応急措置。
感情の痛み止めみたいな…。
世間ではよく「大切な人を亡くしたら..理屈抜きで悲嘆にくれるもんよ」とか言う。
しみじみと誰かが言ったその言葉が、ガッチリとマインドに喰い込んでいく。
まして複数人から言われたら「そういうものか!」と統計100%で決定づけてしまう。
まるで..精神の金縛り状態w
こうなると天寿で逝こうする人をも「逝かせるものか!」と無理にも繫ぎ止めてしまう。
逝かれてから「もっと早く楽にしてあげれば良かったのかなぁ」なんてポツリ呟くw
お客様からのご依頼の中にも、亡くなられた身内の方との対話が時折だが有る。
恐山のイタコさんが日本では有名だけど、一応(?)私も出来るので遣るのだけど。
あまりに生々しく憶えてるというのは喜ばしいことではない。
成仏前の状態で故人がいると、時間さえも悲痛の薬にはならない。
まさに、時間が止まったまま..残された人の肉体が倍速で老化するだけ。
往生するとも言うが、これは往きて生きるコト..生まれ変わる準備に入るのだけど。
残された人の側から見れば、故人との思い出が次第に薄くなる事にも繋がる。
アッチの世界の住人になった魂も、コッチの世界で使命を全うすべき人の魂も、
メッセージがあれば、それを伝え、納得してもらうより、他に何もなくても
それが双方の今後の善きことに思いがけずも繋がっていくものだと思う。
何故って? 肉体は器であり 魂は器の漕ぎ手のようなものだから。
1つの人生..例えて大海なら 数多の荒波に遭っても漕いで、
漕いでいく内に 舟の如く老朽化もするが、得るもの得たりで
今生の使命を全うしたら 往生際よく天界へ戻るため幕を引く。
ただ、それだけだ。
いつか自分にも訪れる。それを念頭に置いて日々生きれば悔いなし..かも?!
2013/02/22