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最近の記事
土地のお祓いは浄霊で
土地のお祓いって、実はかなり厳しい。
子供の頃から、いわく憑きの土地を見てきて そう思う。
勘違いされちゃうとマズイので、ひとこと。
家ではなくて、飽くまでも 「土地」 の話。
今でもゾクッと思い出す土地 が幾つかある。
その1つが、庭付き建売住宅が立ち並んでいる新興住宅地。
当時は、そういうことになっていたが、そこに立ち並ぶ全戸一帯の土地。
お祓いも ! 地鎮祭もすべて行ったうえで、各物件が建ったのだとは思う。
だけど・・・
地鎮祭っていうのは、そこに住まう霊魂と共存する ! って意味なのだけど
知っている人は、あまりいない。
お祓いは、祓うわけだから、「追い出す」ことになる。
むやみに追い出すのではなく、力のある人が浄霊して成仏へと全員を導いていれば、
忌み事は 起きないのだけど…。なにやら中途半端にしてしまったらしい。
小学生の頃、気紛れオバカで親友とアチコチの塾に通っていたのだが、
一軒だけ ! 授業料は納めたものの 「あそこ行くの嫌だーっ! 」 で親を困らせ、
3回行って我慢切れ….とうとう駄々コネまくりの状態で 辞めてしまったトコがある。
親 「なんでぇーー嫌なの? 友達のAちゃんは行ってるんでしょ ! ? 」
私 「ん~。ずっと行くって。でもアタシは嫌~っ! 血まみれの人がいるもん」
親 「血まみれって何 ? 喧嘩でもしたの ? 暴力ふるう人がいるの ? 」
私 「生きてる人は、暴力なんてナイヨ ! 」
奇妙な会話を何日も繰り返して、遂に、親が根負けしたのだが…
引きつった形相で拒否る私を見て、怪訝に感じた両親が土地の歴史を調べ始めた。
どんな調べ方をしたのかは覚えてない。
もしかしたら、当時8歳の私は聞かされてなかったかも..! ?
しかし、親の根気というか愛(?)というかで、とうとう発覚した。
結果は・・・
そこの土地一帯が、江戸時代は 処刑場だったことが判った。
時代が移り…変わって、 跡地には桜の樹が植樹された。
桜の季節になると、桜の花が夜目にも美しく舞う…それは一見綺麗な景色だ。
めぐりめぐる季節と歳月の中で、忌まわしい記憶は葬られていく。
『 ここは処刑場だった。かつてはさらし首が並んでいた。』 記憶は
どうでもよいものになって、いく。
周辺地域に住む人たちにとっては、祟りよりも、桜花によって浄化されたと、
そう思いたいのも人情かもしれない。
単純に、宿場町だった ! という記憶 (記録?) だけで充分だったのだろう。
でも、確かになにか居る・・在る・・感覚が鮮明に残っている。
処刑場だった土地に 桜を植えて、語り継がれてきた記憶が人々の心から消された
頃合を見計らうかのように、桜の樹は間引きされ…そこにオシャレな家屋が建った。
遠方から引越して来た 何も知らない人達が、購入して そこに住まい・・・
1軒の家では塾を開業させた。
親友の誘いを受けて私もまた..その土地の その家の中に..勧誘された ?
入っちゃってから..ギョ~ッ! な体験をする破目に。
土地のお祓いは、段取りを充分に整えた上で 浄霊できる人間が複数で立ち向かう
のでなければ、怨の上に怨を重ねることになる。
普通(?)のお祓いとは全く別種のものだと、私は思っている。
アノ学習塾にはサヨナラして、いつの間にか…誘ってくれた親友のA子ちゃんとも
疎遠になり、その後 どうなったかは解からないが….ふと、こんな風に思う。
もしも、あの時の私が8歳でなくて、おとなに達していたなら、
果たして 浄霊=お祓いと世間が呼ぶものを引き受けただろうか ?
冤罪で命を絶たれた人の悔しさは理解できても、時の経過の中で その怨恨は
増幅の一途をたどり、いわゆる悪霊化しているケースが多い。
それも、一体や二体ではない。無数だ。
霊能者仲間を集って、必死の除霊・浄霊・浄化に務めるとしても、これは
ほとんど命懸けの仕事となる。このお祓い合戦に関わる霊能者全員が…。
一概に土地のお祓いと言ってもさまざまなのも事実だけど。
この世に生きている人間が触れてはいけない土地には、立ち入らない事が1番。
人には皆、直勘があるのだから、その感覚にじっと耳を澄ませていれば (簡単瞑想?)
解かってくることが多いと思う。
陰と陽の法則ではないが、
パワースポットが存在すれば、当然 アン・パワースポットも存在する。
忌の土地に関しては、結構多い。なぜか増加している。
高層の建物や土地開発で 霊道もズレてきている。
人は本能で察知している ?
だから、パワースポットが流行っているのかな ! ? とポチポチ思うこの頃です。
2011/09/17