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マイケル・ジャクソンが遺してくれたもの
日本時間で言えば、6月26日 6時26分 !
2年前のこの日この時刻に 不世出の人が高次の世界へ旅立った。
何もかも全てを兼ね備えた人には、この時代はさぞかし息苦しかったかもしれない。
孤独を胸に抱いて、調和 (平和) を求め奮闘していた。弱者にはこよなく慈悲慈愛をもって接し、罪もなき野晒しにされていた子供たちへの愛情は並ならぬ深さで、あの過酷な裁判沙汰に貶められても変わらなかった。
1987年のバッド・ツアーで来日した際、弧高の人・マイケルが取った行動を記憶している人が多いことを望んでやまない。
わたしたちの国 日本で起きた事件、ヨシアキちゃん事件を、朝宿泊先ホテルで英字新聞を通してマイケルは知る。普通に考えてみても、海外ツアーに赴き その国で起きた事件を傍観者として見るほうが至って自然に感じられるが。どうだろうか ?
残虐な事件は、被害者がわずか5歳の子供だった。
子供たちへの愛を惜しまぬマイケルが 大阪コンサート当日朝に、事件の詳細を知ってしまったことになる。私たち日本人が極一般的な恐怖を感じていた頃、悲しみに暮れて苦悩していたのが、ツアーでたまたま日本に来ていたマイケルだった。
「お花を手向けたい・・それよりも、もっと何か、ボクに出来る事はないだろうか ? 」
泣きながら通訳の男性に何度も電話を入れていた。何度も。
コンサート当日となれば、通常はそれに集中したいはずだが、どうやら沈痛な想いに耽っていたらしい。・・・被害に遭ったのが我が子か親戚の子供ならば、それは当然のことだろう。日頃から可愛いがっていた子でも理解に難くないが。
ときも置かずしてリハーサルが始まり、緊張の本番となる。
そのコンサートが盛上がってるさなか・・あのスリラーの直後に、マイケルは大阪公演を中断した。緊迫感ただよう静寂のなか通訳の男性が呼ばれる。会場を埋め尽くしている観客は皆、何が始まるのだろうかとポカンとした顔、顔、貌には・・「えっ? なに ? ・・・盛り上がってたのにどーしたの ? 」・・・。
文化の異なる国で、公演中に突然音を切るという行為は如何にリスキーか !
しかし、彼の勇気は躊躇なく発揮された。・・5歳の男の子を襲った残虐な死。
マイケルは非難を覚悟で告げた。
「この歌も次の歌も、僕はヨシアキ君に捧げたい。彼のためにみんなで祈りを捧げたいと願っている。日本の人達は許してくれるだろうか ? 」・・鎮魂のメッセージが伝わる。哀悼の意を、マイケルがその時の「いま僕にできること」で顕した。
義理・人情を重んじる日本に於いて、皆 胸を衝かれたと思う。静寂のあとには拍手喝采の嵐・・感動の渦。母国アメリカでは何を遣っても中傷の的となっていたころ、この善意が受け入れられない不安も在ったはずだが、マイケル・ジャクソンという偉大なる人物は、終始一貫して「人を愛すること、思いやることの大切さ」を説いてきた。押し付けがましくではない。ただ、そうせずにはいられなかったから。
まずは自分から、人が人であるべき尊さの根幹的なものを、白斑の病に冒されながらも、まさに神業の如く行使して結果を創ってきた。わたしは幸せです。そして感謝します。
マイケル・ジャクソンの時代に生きられたことを。
2011/06/26