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最近の記事
体と心と魂と。ICUまさかな会話
3月12日 午前3時過ぎに、弟から電話が入り
父の容体が急変した ! 今 病院に向かってる…
また電話する !
切れた携帯を、呆然としばらく握っていた。
透析用シャントを作る目的で数日入院すると
聞いていたが、
それは、命が危険に晒される質のものじゃない。
心を奮い立たせ祈祷を始め 2時間ほど経ったころ、
再び電話が鳴った。
「最悪の事態は凌いだ。今夜は、まぁ大丈夫だと思う。
けど、担当医の話では…..」
と、弟の話は続き、葬儀社も一応訪ねてみるよ ! で切電。
( 葬儀社って、それ、どういう意味なの ? )
思考回路が途切れた私は、目に止まった物を
次々とキャリーバッグに投げ込んで、飛び出した。
高崎駅に着くと弟が迎えに来ていた。
G大学附属病院のある前橋まで、約40分。
車の中で経緯や状態など聞かされたが、
(それ絶対におかしい! 従うべきだ!!)
従えと直感が しきりと 訴え、受身的思考を手放す。
G大学附属病院に着き、ICUへ 駆けた。
父の口には人工呼吸器が繋がり、
肝心の意識は、明晰ではないが、ある。
生体エネルギーが2ヶ月前と比べ、ひどく薄い。
(何故こんなことに? 何が隠されてるの? )
説明をと、担当医に呼ばれ、家族面談室へ。
医師と看護師2人に、私と弟、
取調室を連想させる息苦しい部屋で
話し合いという名目での〝宣告〟を
一方的に告知される破目に。
「お姉さんが来るまで もたせて欲しいと言われたので
処置しましたが、今すぐ亡くなっても不思議のない状況です」
「ご本人の生命力次第では、1週間生存もゼロとは言いませんが、
今夜心臓が止まる可能性が高いと思って下さい。ご高齢ですし」
「7年前の癌が再発し、全身に転移してます。誤嚥性肺炎もあり
感染症を併発して全臓器が機能不全に陥ってます。両肺に水が溜まって
いて、ご本人は海でおぼれてるような感じで、非常に苦しいんですよ」
と、レントゲン写真の説明も付加され、
とにかく ! 〝死が近い〟ことを連綿と説得されていた。
日本語は分かるから、耳では確かに聞いていたが、
別次元に意識を集中させると、何かが違う感覚に浸り
「そんなに苦しんでるなら、とにかく、肺の水を抜いて下さい。
今できるのは それだけでしょう ! ? 」
担当医のO医師は
「肺に太い針を刺すんですよ。
激痛が走って お父さんが苦しんでも平気なんですか ? 」
「どうせなら、楽に逝かせてあげる方法を考えるべきでは ? 」
「はぁ? O先生、アナタが在籍するこの病院はホスピスですか ? 」
「そもそも激痛が走るなら当然 麻酔をするんでしょ? それって、
例えれば、始終痛む虫歯でも 麻酔して抜歯すれば 楽になりますよね」
「抜歯の時に生じる痛みの有無は、歯科医の腕一本かと思いますが ?」
不快さを隠せない人なのか、O医師は投げやり口調で
「これが もしも、若い人なら、将来もあるし、そりゃ僕たちも
もっと必死になりますよ ! 人には寿命があるんですよ」
( 絶対に口にしてはいけない言葉じゃないのか ! 本心でも隠さなきゃ。
この医者は墓穴を掘ってるって気づかないのだろうか ? )
この時、自分の中の感情の変化に気づいた。
置き場のない悲しみは、怒りへと変わり、不信へと変貌した。
命を任せる相手は、この医者じゃなくて、もっと遥か違うナニカ。
漠然として名もないが、確実に在るエネルギーの源。そこにアクセス。
担当医O医師の個人的見解によれば、
「僕なら、苦しんで延命されるより、早く楽になりたいですけどね」
私は、「いざ その時にならなければ 分かり得ぬことです。意外と…
そう言ってた人が、足掻いて未成仏、なんて、結構視てきましたからね」
「仮に百歩譲ってアナタが そうだとしても、人間は、十人十色、千差万別
ですよ。医師免許を盾にしてもねぇ。人間力が乏しいというか、人間力って
解りますか ? 医学書の統計だけで 命を図れるって、本気で思ってます ? 」
O医師は語尾を強めて、当たり前な事を口にした。
「人間は、いつか必ず死ぬんです ! 家族は受け入れるしかないんです !! 」
そんな話し合い(?) が、来る日も来る日も続いた。
ICUのドアを入ると、呼び出される。
アテにしていない医者の話に時間を取られたくなかったが。
私がこの病院でアテにしたものは、調えられた医療機器。
父の病床に付き添い、しなければならない事があるのに ! と、
時間を割かれることにイラつき、O医師の顔を見るたび「またか 」
と鬱陶しくなっていった。
ある日、Y看護師が 父を見ながら 呟いた独り言。
「不思議だわ…初めて見るわ。なぜ苦しくないのかしら ? 」
「なんのこと ? 何が初めてで不思議なの ? 」
と尋ねると
「人工呼吸器つけると、患者さんは ひどく苦しんで…暴れたりとか…
なので、点滴の中に睡眠剤や鎮痛剤を入れて苦痛を和らげるんだけど、
薬を入れてないのに、全然苦しそうじゃない。長年ここに務めてるけど
初めて見るわ。ICUで人工呼吸器はよく使うけど、笑顔でいる人って初 ! 」
O医師から 散々なほど聞かされていたため、
痛みを感知する場所は「 脳だ ! 」と、6~7のチャクラに意識を置き
苦痛の遮断をイメージしながら エネルギーを注いでいたが…
内心「本当に ? 」だった。
危篤と “今夜死ぬ”宣告の日から、10日以上経っても
担当医O医師の呼び出しは続いた。
この日は看護師が4人、斜め左右から 吸いつくような眼。
ドア側に座ろうとしたら、1人の若い看護師が立ちはだかり
奥へと背を押され、まるで包囲網か奇襲作戦のような。
「ご家族としては、どうなさりたいんですかね ? 」で始まり、
「安定してきてるように見えても、一過性かと。癌もあるんですよ。
肺の水も毎日抜いてますし、危険な状態には変わりないんですよ」
「ご本人は苦しいと思いますよ。提案なんですが、医療用麻薬と睡眠剤を
点滴に入れると楽に眠れます。CO2が発生して死に至るのも早まりますが
治らない病気でこれから苦しむより、楽に逝かせてあげたら如何ですか ? 」
「この椅子の位置関係は…孫子の兵法でも 付け焼刃で読みました ? 」
「意識もはっきりしていて心臓も動いてるんのに ? わざわざ安楽死の真似を
しなくても、父本人が逝こうと決意したら、そこで心臓を停止させます。
そうなったら心臓マッサージも結構です。気管切開も致しません !! 」
「心臓を自らの意思で止めるなんて、そんな事はできないっ! 」と、O医師。
「それはアナタの乏しい統計学に他ならず。健康体ならムリでしょうけど、
生死の境にある今の父なら、できます。ご心配なく !! ただねぇ、そうやって
洗脳するのは やめて貰えませんか ? 弟を洗脳してるようですが ? 」
「…お姉さんのほうとは、僕の価値観が合わないので」
「命の問題で価値観が合わないとは ? 命の遣り取りしてるつもりですか ? 」
「医者という仕事にアナタが就いて、ご両親はさぞかし喜ばれたでしょうが
それは単に、職業ってだけですよ。生か死かの選択ができる状態なら本人が
出すべきで、去るにも納得が必要だからです。父の決意なら私は尊重します」
「人間は、肉体だけで存在してるんじゃないんですよ。心があり、魂が主
なんですよ。体は器。だけど、この世で表現するには、必要な、魂の器なの」
「言い残した事を伝えきれなかったとしても、これだけ頑張ったんだから
逝っても悔いなしと 本人が感じられなかったら、死後に、孤独な場所に
留まってしまう…そうはさせたくないんです。父も理解した上で頑張ってます」
すると
20代前半と思しきドア近くを占拠した看護師が、
「じゃあ、私が聞いてみましょうか ? 」
「なにを ? 誰に何を聞くの ?」と 問えば、
「お父様に ! です」
「苦しみながら延命するか、早く楽になりたいか、今 聞いてきます」
「待ちなさい !
アナタ何言ってるの ? そう言われアッという間に亡くなった患者が過去に
たくさんいて、今じゃ法的に禁じられてるのを知らないの ? 」
「この場の空気も読めなかった ?
さすが、Oセンセ率いるメンバーだわね。というより、ミヤナガさん ?
アナタは看護師になっちゃいけない人よ。そんな人間が 寄りにも寄って
大学病院勤務なんて、恐ろしい実話だわ。被害者出す前に、辞めなさい ! 」
G大病院 看護師・ミヤナガを、この日、危険人物としてインプットした。
( 何があっても父のそばには近寄らせたくない )
密室での話とは裏腹に、父はつらいリハビリに励んでいた。
( なんで担当医がオーキなのよ。死を家族が承諾すれば…保身か ! 医者は手を
抜ける。担当医のチェンジができたらマイナス波動を克せる。変わってよ ! )
3月も末近くなり、本当に 担当医が、O医師からS医師にチェーンジ ! 叶った。
O医師でなければ、この際、誰でもよかった。
S医師の人柄を知る術もない。ネガティブDrでなければ完璧だとさえ思った。
4月に入り、父はICUから個室へ移った。
O医師は後日、弟と病院玄関で顔を合わせた際、なぜか ? 「飛ばされた」と
口走ったらしいが、それこそ、不徳の致すところではないか。
人間力を磨くには楽してたら無理ゆえ、丁度よい、荒修行セクション。
まもなくして S医師グループの若いDrが病室に立ち 首をかしげ独り言のように呟く。
「医学の教科書にはない症例なんですょ。こういう事もあるんですね。
ICUにいた初期は確かに危なかったんですが。いつ治ったんだろう、消えてる」
「なくなってるんですよ、ガン。他の数値もよくなってるし。
人間の生命力って凄いですねぇ! 全力でサポートします」 と、言われ「えっ?」
聞き直してしまった。(なんなの ? この180°の温度差は ? 私は突然変われない)
3月、 ICUにいた20日間、
これでもかっ! ? とばかりに聞かされ続けてきた、〝死〟の宣告的一語は、
いつのまにか心のシミとなり、死後の世界を探索するまでになっていた。
「生きて、苦痛を味わうのが、いいんですか ? 」
嫌味な響きを伴い浴びせられてきた この言葉も、容易には私を離さないだろう。
父が透析の日は、私も透析室へ。
ベッドの耳元にスマホを置き、you Tubeから選んだオルゴール曲を流していた。
一日 7時間ほどを病院の父の傍らで過ごした。
十分ではない睡眠のせいか、疲労か、次第に居眠りも増えていくなか、
どこからか声を掛けられた気がして、ふと見上げた空に、虹が….
見ている内に、もう1つ、虹が現れた。
2つの虹が、浮き橋のように、青空を彩り目映い。
しばらく眺めてから、急に思い立ち、写メに収めてみた。
見惚れて撮ることを忘れるほど、
この日の虹は、神秘的で美しかった。
そういえば私、何日ここに通ってるの ? と数えてみたら、
49日目、だった。
数日前から、喉が痛み 熱が出て 食欲も失せ 咳込んでいた。
額に熱さまシート、口には2重のマスクして、這ってでもの勢い。
父が昼寝に入ったら読書と決めこみ、本を何冊か持参している。
この日のチョイスは、
エリザベス・キューブラ・ロス著/ 死ぬ瞬間と死後の生。
大門 正幸著/ なぜ人は生まれ、そして死ぬのか。
レイモンド・ムーディ著 / 臨死共有体験。
過去世でも来世でもなく、本来の場所たる「中間生」は興味深く、
地球に誕生する前に、魂が存在していた故郷は、望むままの至福が満ちる天上界。
過酷な地球だから、学びも多く、使命を果たそうと青写真を描き、転生へと挑む魂。
もはや死は始まりとなり→中間生へ帰還→そして地球で事前に両親を選び 誕生する。
(泣きながら産まれる子供のように、も一度 生きるため泣いてきたのね。by中島みゆき)
成熟した魂なら、地球での人生は 最後の旅となり、帰還すれば至福の恍惚感だとか。
帰省50日目、今度は私の体が悲鳴をあげた。
熱は更に上がり ひどい咳に薬が全く効かない。焦る。
扁桃腺炎のようだった。自然治癒力を信じてホテルのベッドで一日眠った。
51日目。父の病室へ赴き、S医師を訪ねると
「先一週間の間での急変は考え難い。一度お戻りになったら如何ですか ? 」
実は、予定していたホテル連泊の先延ばしが難しくなっていた。
前橋のホテルは満室にならないと聞いてたが、どういう訳か ? 滞在中のホテルも
近辺のビジネスホテルも、どこへ電話しても、5/2から4日まで空室無し。
観光名所もなく、車がないと身動きが取れない上、赤城と高崎に挟まれ廃れいく町
というのが前橋のイメージ。なにもないところ、でホテル満室は想定外だった。
実家に戻る手もあったが、
「コレって、もしかして、一旦帰れってこと ? 」
直感に護られ、一日一日を過ごしてきた。
ICUで即答を求められた時は、思考が働く前に、直感で意図せず応えていた。
52日目。本物の病気になる前に…足手まといになる前にと、
後ろ髪を引かれながら自宅マンションに戻った。
「また、すぐに来るから、待っててね」 と父の耳元で約束して。
あれから一ヶ月が経とうとしている。
まだ、限りを尽くしたとは言い難く、足が重ければ 心も重くなる。
今週末の 6/3の土曜日から、一週間の予定(暫定)で、帰省する。
2017/05/29