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最近の記事
マンダラは密教法具
曼荼羅と日本語では書くが、これって音訳の当て字。
どちらかと言えば、カタカナで「マンダラ」と書くほうが正しいのかも !?
でも、曼荼羅と書くほうが、何故か説得力がある…感じがする。
मण्डल が正しいけど、サンスクリット語で読めないし。
尤も、大切なのは「感覚」かも!
理屈抜きの感覚って知識よりも遙かに賢くて鋭くて、 しかも誰もが持っている。
「マンダラって何?」と調べまくった結果で「なるほど!」と頭で認識するものではなく、人が持つ第六感・第七感以上の感覚とか直感で、感ずるままで良いのでは?!
子供の頃はお寺さんへ行けば、そこにマンダラが飾られてて普通に見てた。
密教系の寺には必ずあるから、無邪気な心で親しんでいた。
よもや「これは何かの役に立つだろう!!」なんて微塵も思わない。
いつか自分もマンダラを手にし、自宅に飾る日がくるなんて、思うはずもない。
長い長ぁ~い時が流れて、この仕事を専業にしようと決めて間もない頃になって、
金剛鈴を求めた。
密教法具を扱うお店の波動の良し悪し(?)なんぞを、PC画面から視ながら、
あっちだこっちだと…まずは電話で感触を掴みながらと、やっていく内に「ここだ!」とキタお店があり聞けば、ナント! 実家の近所だった。
帰省を間近に控えていた私は「奇遇ですねぇ」なんて言って
先方のHさんは「色々あるから観てくださいねぇ」…で話は進み・・・(直接現地で仕入れてる人の波動は大切ょ)とばかりに、お目にかかった。
欲しいのは鐘であり、音色や響き具合はどうか? どこまで胸に迫るか?..だったが。
Hさんは待ち合せ場所(..って私の実家前だけど)に、車に種々搭載してやって来た。
時折個展を開くという喫茶店へ直行すると、
貸切かっ? って感じで クルマに積んで来た大小様々の品を、丁寧に並べ始めて..「観るだけ観てください。ネパールで見つけた宝なんです」と。
(観るだけって? コレは売物なの? それともお宝拝見なの?..そんな気分で観てたw)
パワーストーンの時にも、売物ではないのに奪うように買った経験のある私だ。
ネット上には掲載されてなかった品々が、出るわ!有るわ!! でそりゃビックリだったけど、何よりビックリしたのは己が心かも~~目が点状態で心を奪っていった唯一画。
マンダラと世間が呼ぶものだった。
ウーン…正確には、タンカ(仏画)だが、Hさんはマンダラと言っていた。
元来 絵画を観るのは好きだったし、実際に好みの絵を何枚か購入もしてるが、
さすがに宗教色のあるものは望んだことすらない。まして密教系由縁のものだし。
知識的には「なにもない」私が、密教の実用法具とされる画に 何故こんなに魅せられるのか?! ・・・
まず自分の心に動揺した。
ホント購入する気なんて全くなくて、お気軽に観てしまっただけなのに…何故?
自問自答し、冷めるかも? と一週間の冷却期間を置いてみたが、
まるで! なにかに憑かれたかのように、あるいは運命の相手に出逢ったかのようで、日毎に増す想いは募るばかり..で考えることに疲れて、見染まれた(笑)ことにして タンカの意味と結ばれた。
今、電話占いの名目で霊能鑑定を実践する場所にドンと鎮座している。
その後も、白傘蓋仏母に不動明王様にカーラチャクラマンダラにと購入して・・・
もうないだろう!! もう充分だ!! と決め込んでいた…興味の片鱗さえなかったのが、
ナント! 今年早々に、真言音楽CDを購入したショップで、またまた観てしまった。
また、あの時と同じ感情的感覚に捕らわれ..10日経ち、とうとうお店に電話して、
なんのために電話したのかさえ分からずに…ポツリと
「岩絵具は何を使ってますか?」 と言ってみた。
「マラカイトとラピスラズリとオーピメントが主です」と丁寧にテキパキ教えられて..
「明日の午前中着で送ってください」 。。
どんな答えが返ってきても、間違いなく! 購入したはずだ。
ただ、なんか聞いてみたかっただけ。聞いて諦める方向にいくことを望んでたかも。
諦める材料さえ、10日の間みつからなかったのに。。
PC越しに日々繰り返すダウジングは、右回りに勢いよくグルッグルッ回り。
(もう少し勢いがなかったら諦められただろうか? パワー=勢いの法則だもんね)
マンダラやタンカに何を求めているか? さえ先日まで考えた事もなかったが、
敢えて考えてみると、無限を一言に託すような「大きなエネルギー」ってことに。
宇宙と地球とその中間・・この世に存在し来世にも投影される莫大なエネルギー。
天・地・風・火・水…その他諸々の、言葉では説明しがたいが人間が太古の昔から
「神様」と仰ぐ…地球も抱く宇宙の そこかしこに鏤められてる摩訶不思議な力。
古代インドに起源したマンダラの歴史は古く、時代を経るうちに密教以外のも描かれているし、宗教とは関係ないものもお土産物屋さんには堂々と置かれてる。
そもそもが、かつては頻繁に! インドでは、
神仏を招く時、土壇上に円形または方形の魔方陣=マンダラを色砂で描いて秘術を行っていた。でも、色砂で土壇上に描くため、当然 古い物は残ってはいない。
インドから中央アジアから中国を経由して日本にはいったが、最初は確か..空海が持ち込んだ…それが方形のマンダラだと。。
とはいえ空海が興した真言密教だけが密教ではないが。
マンダラに魅了されるのは、それが美しいからでもなく密教的な側面からでもない。
なにかを欲して魅了されるなら、それは単なる「欲」でしかなくなる。
本質は、隠されて、闇の現となる。
なので感じたままを書けば、
マンダラもタンカも 魂や肉体を活気づけるための・・・そして、何かは判らないけど「何か役に立つことあって、今生にこさせられたなら」..それが終える瞬間まで供給されるエネルギーを繫ぐ媒体ではないかと、そんな気がするのだけど。
だって、見目麗しいと誰もが認めるようなマンダラに魅了される訳でもなく、ある日突然パシッて感じで 目の前に現れるのは、「これ..普段の私の趣味じゃないんだけど」なぁ的な感じなのがほとんど。
ときには「マニアックなのがお好きなんですねぇ」なんて言われつつ。
確かに、
タンカ購入時に、魅せられながら「この観音様みたいなのって名前は何て言うの?」
とか、堂々と店の人に聞き、唖然とされたり・・なんてよくあること。
店の人いわく、それは..「お高い買い物で・・ご存知なくお求めに?」w
「名前とご利益は存じませんが、強力なのは然り絵師さんの功徳が高いのでしょう」
なんて平気で言うから、時には余計な誤解を招いて心配されることもある。
「ネパールに旅行されたら気をつけてね。お土産用のマンダラが店先にたくさんあってボラレルから。日本人は気前がいいと現地の商売人はカモるからーー」。。
「大丈夫ですってば。偽物にエネルギーは感じないし、ソコだけは見る目あるから」
マンダラは通常は「岩絵具」で描かれるが、
ポスターカラーで描かれているものが増えているらしいのだ。
んーー描き易さから言えば、ポスカラだろうし・・当然ながら量産できる。
たくさん売って儲けたいからたくさん描きたい絵師さん(?)なら、面倒な岩絵具は避けて、スルスル描けるポスカラにいっちゃうんだろうなぁと経済事情から妙に納得。
そのかわりに安い。
この世の常としてマンダラも含む何もかもが、お値段と価値はイコールしてる訳で、それを承知で「飽くまでも土産」として、つまり思い出の付属品として求めるならOKなはずだが、それを誰かにプレゼントするとなると、問題が生じるかも! とは思う。
ポスカラの偽物なら数千円てとこらしい。
ルーペで観れば荒さが観えてくるとか..絵師の人も見習いから師範までと幅広い。
さらに岩絵具で精魂こめ丁寧に描かれたものなら、小さくもて3ヶ月間はかかる。
そこそこの大きさなら毎日描いて描き続けて、6ヶ月以上かかるらしい。
その間の生活費と材料費も 生身の人間なら生きていくために当たり前に必要。
そして、再び描くために、絵師さんの心がガッカリしないだけのものも必要だ。
偽物でも本物でも ピンでもキリでも、
それを持つ主となった人が納得していれば、それで万事良し! なのだとは思う。
マンダラの前に座して想うことは、なぜ密教が誕生したのだろう..とか、
それほどに強いエネルギーを古代の人々は望んだのか?とか..色々想う内にやはり
400年前の御先祖様ってところが、本音になってしまう。
健康な肉体を捧げて21日後に入定した御先祖様は、いったい何が在って、そこまで(見方を変えれば死だ) 決意し得たのだろうか、と。
山形県の羽黒山に足を運んだ千日苦行だけでは、納得できなかったのだろうかと、
未熟者の子孫は そんなふうにも考えてしまう。
時代背景のまったく異なる現代に生きる身には、到底 理解不可能だが・・・
4月3日に祠に入り、それからの21日間は想像すら出来ない。
ときに独りを強く感じる身は 悟り得ぬまま最期を迎えるのかと思えば空恐ろしく、
心の中でひたすら念じる言葉は「克己心」..「克己心だ」と言い聞かせ仕事に臨む。
2014/02/12